昔々、中国のある偉大な古桐から作られた琴があった。帝王の元にあったその琴を演奏しようと多くの名手が挑んだが、不調和な琴の音がするばかりであった。
ついに伯牙という琴の名手が現れた。彼は暴れ馬を鎮めるように優しく琴を撫で、静かに弦をたたいた。彼が四季、恋、戦いをうたうと、空や森までもがそれに共鳴するような素晴らしい音色を奏でた。
これを聴いた帝王は、伯牙に成功の秘訣を尋ねた。伯牙は答えて言った。「陛下、他の人々は自分の事ばかり歌ったから失敗したのです。私はその琴に楽想を選ぶことを任せて、琴が伯牙か、伯牙が琴か、本当に自分にもわかりませんでした。」と。
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最近、いい演奏会に出会ったり、楽器の倍音に注目して音を鳴らすように練習していたら「いい演奏をする」という意識が変わってきました。私の意識によって、楽器、曲、楽器を持つ私の身体を『邪魔しない』ことが大事なんだと。思い返せば「私の意識」というヤツは本当に演奏中ろくなことをしない。
それで「琴ならし」というお話を思い出したわけです。
(参考:岡倉天心「茶の本」)
バイオリン弾き 三澤


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