一つの答え

お茶しませんか?

一説によると音楽の起源は言葉より早いそうですね。
目と目を合わせて意思疎通をしていた人類が集団で生活するようになり、その集団内の共感力を高めるために音楽らしきものがあったそうです。

現在の音楽は「披露・鑑賞」される場面が圧倒的に多くなりました。音楽を披露する側がいて、それを鑑賞する側がいる。私はそれを当然と思い、特に深く考えたことはありませんでした。でも、それなら「一流」でない私が音楽をする意味、人前で演奏する意味は一体なんだろう。そもそも意味なんてあるのだろうか。そのようなモヤモヤがずっと頭の隅にありました。

しかし、音楽の起源を知り、一つの答えを見つけた気がします。原始の音楽は、共に声を発し体を動かして共感することで集団として生き残る力を得るために存在していました。披露・鑑賞ではなく、共感・結束のための行為。これが音楽の本質であり、人類が音楽を手放さない理由。ハッとしました。

私たちは奏者としてより優れた演奏を目指したり、聴衆として洗練された演奏に感動したりします。しかし、「演奏会を開こう」「演奏会へ行こう」という行動の根底には、舞台と客席の境を越えた、人との共感を求める気持ちが潜在しているのでしょうね。

さあ、いざ本番へ。

バイオリン弾き 三澤

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